日本女装昔話
第4回】 女装秘密結社「富貴クラブ」(1) (1960〜1970年代)
ようやく春めいてきた3月のある日の午後、私は東京神楽坂の「風俗文献資料館」で女装関係の書棚に置かれていた2冊の分厚い未整理ファイルを調べていました。中には1950年代初頭から70年代末頃までの女装関係の雑誌スクラップや女装写真のプリントがぎっしり詰まっていて、一見して貴重なものであることがわかりました。丁寧に見ていくと60年代から80年代にかけて活動したアマチュア女装秘密結社「富貴クラブ」の入会案内や申込書が出てきたではありませんか!。
 
私は「大発見」に踊る心を抑えながら、館長の高倉一さんに「このファイルの出所について差し支えない範囲で教えていただけませんか」とお願いしました。館長さんは「これは富貴クラブという女装の会の会長だった鎌田さんのものですよ」とおっしゃいました。こうして秘密のベールに包まれた「富貴クラブ」の実像に迫る糸口が見つかったのです。
 
「富貴クラブ」は、戦前からの熱心な女装者愛好家である鎌田意好(西塔哲)氏が、女装グループ「演劇研究会」(1958年解散)の残党とともに1959年(昭和34)に結成したアマチュア女装の秘密結社です。会長の独裁的権限の元で厳重な会員管理と秘密保持を行い、一般マスコミに登場することは稀だったにもかかわらず、1960年頃から80年頃までのおよそ20年間、日本のアマチュア女装世界をリードした本格的な女装ク
ラブでした(1990年に解散)。しかし、そのあまりの秘密性のため、「富貴クラブ」については不明な点が多く、その実態を語る資料は提携関係にあった『風俗奇譚』誌上に掲載された記事以外、ほとんど残っていない状態だったのです。
 
「富貴クラブ」の基本姿勢は発見された800字ほどの「入会案内」によく示されています。勧誘の対象は「女装者をSEX対象としたり又一時的にも女装をして女の世界で別の人間になりたい願望の人」であり、「富貴クラブはそんな願望はあるが一面良識ある社会人としてのプライドを持つ人々で構成され」ていること、「女装を職業としたり、はっきりしない素性の人は入会を断って」いること、入会希望者は、会と会員の安全のために入会申込書に規定通りの記入をしなければならないこと、などです。
 
その「入会申込書」には、氏名・生年月日・現住所・電話・勤務先(所在地・電話)・卒業(在学)校名・既婚未婚・身長体重など極めて詳細な記入事項があり、末尾に「この申込書は会長だけの秘密保管で、クラブ会員には公表しない。クラブ内では匿名のまま交際、行動できるので君の秘密は完全に保持される」という文言が付されていました。このクラブの厳重な入会手続きと秘密管理の実際がよくうかがえます。(続く)
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「資料4-1」


「資料4-2」


「資料4-3」


「資料4-4」
資料4-1  「富貴クラブ」の「入会申込書」
資料4-2 鎌田意好氏所蔵の女装者を描いたペン画(1968年頃)
資料4-3 鎌田氏コレクションから「雲助に襲われた娘の股間に一物が!」
資料4-4 鎌田氏コレクションから「女装者と旦那のくつろぎの一時」
(いずれも風俗文献資料館所蔵)